金の鈴    2001/9/2京都新聞
                越水利江子


 台風の季節である。
 この季節になると思い出す人がいる。
 その人は、くの字に腰の折れ曲がったおばあさんだった。
今なら米寿のお年寄りでも、もっと若く見える。
当時、あのおばあさんはお幾つだったのだろう。
 ただ、老けては見えたが、立ち居振る舞いは美しかった。
年相応の皺やたるみはもちろんあったが、抜けるように白いもち肌は触ってみたくなるほどだったし、昔の浮世絵のモデルがそのまま年取ったような細面の美女でもあった。
 歯科開業医の妻だった人だが、歯科医だった夫は寝たきりで、おばあさんはつきっきりで世話していた。
 そのなかで、おばあさんは鈴虫を育てていた。
おばあさんの家の縁の下には、湿土を入れた大きな海苔の空き瓶が幾つも並んでいた。
一夏、瓶の中で飼われた鈴虫は卵を産む。
その卵が翌年成虫になってまた卵を産む。
毎年繰り返すうち、おばあさんの鈴虫はどんどん増えた。
 そこで、貧乏だったおばあさんは、鈴虫の瓶を長屋中に配った。
普段世話になっている近隣へのせめてものお礼のつもりだったらしい。
 夏から秋にかけて、狭い長屋の夜は、鈴虫の音色に満たされた。
どの家からも、金の鈴をころがすような澄んだ聲が聞こえてくる。
瓶から逃げたり、放たれたりした鈴虫も多かったようで、それほど多いと、鈴の音というより、耳鳴りのようにジーンジーンと響いた。
 蚊帳の中で目をつぶると、深い深い海の底へ沈んでゆくようで、なかなか目を閉じられなかったのを覚えている。
 その鈴虫が、台風の時はピタリと鳴きやんだ。
野原にいるならともかく、安全な瓶の中にいる鈴虫も鳴きやむのだ。
 子ども心に、あの静寂を、台風そのものより怖いと感じたのはなぜだろう。
人間の本能というやつかも知れない

 子どもの頃は、空気の匂い、風の温度、草のさやぎ、虫の聲、空の色、雲の動き、光の深度、すべてが目まぐるしく日々変化しているのをひしひしと感じた。

 
あの濃密な季節の色や匂い。
 あれは、もしかして、幼く小さな者と、生きる力の弱り始めた者しか感じられないのではないだろうか。
若く元気過ぎる者は、感性を、子どもやお年寄りに学ぶべきなのかも知れない
          (童話作家・こしみずりえこ)