「京都新聞」掲載書評
written
by 越水利江子
恋の唄 01/11/11 京都新聞 紅葉の頃は何やら人恋しい。 読書の秋、食欲の秋とよくいわれるが、どうもこの二つは業界の商魂がちらほらする。 正直、秋といって、読む本が増えた試しはないし、やたら食欲が増進した事実もない。いつも通り、読みたい本だけを読み、食べたい物を少々頂くだけ。 だが、この季節に、訳もなく切なくなった記憶をたどれば、物心つく前である。 どこかへふらっと出かけたくなるのも、やはりこの季節。 なぜだろう。 人の心の不思議である。 秋の夜長、読書するなら、やはり恋物語を読みたい。 『サラシナ』芝田勝茂(あかね書房)は、更級日記の竹芝伝説を基にしたファンタジー。 原典は何のこともない皇女と武蔵の男の駆け落ち話。これが作者の手にかかるとこうなる。文中、身分を越え命がけで結ばれた皇女に、武蔵の男はいう。 「おれもあんたも妥協はしなかった。だからこそ、ここまでたどりつけた。だが、ここにいるのはたまたまだ。幸運だっただけだ。それを、決して妥協しなかったから偉い、なんていってはいけない」 恋しても自らを見失わない男の科白が生きていて、現代にも通じる。 こういう男となら、恋の道行きも楽しいではないか。 『ぬくい山のきつね』最上一平(新日本出版)は、珠玉の短編集。 おっつあん(夫)に死なれて四年。寂しいおトラばあさんの所へ、若返ったおっつあんがフラリと帰ってくる。男ぶりはいいが、これはどうやら狐らしい。 それを知りつつ、おトラばあさんは狐を追い出せない。 狐でも、おっつあんそっくりなのだ。 畑仕事も一緒にできるし、しみじみ酒も酌み交わせる。 いつしか、おトラばあさんは「どこにもいかねでけろ。ずっとそばにいでけろ」と願うようになる。老いた女の孤独と愛らしさが深く胸を衝く。 どちらも、いわば究極の愛の物語。もう後がない唯一の愛。 最初で最後の出会いと別れ。 フィクションでは若者の恋がそんな風に描かれる。が、現実には、そういう恋に出会えるのは晩年である。 「どこにもいかねでけろ。ずっとそばにいでけろ」と願う相手に出会う。または長年の伴侶が実はそうだったと気付く。 それらは、長く生き抜いた者だけに贈られる人生の醍醐味である。 これから人生の秋を迎える人、不惑を過ぎた人、錬磨せよ。 真の恋の季節の到来である。 うかうか老いてはもったいない。 (童話作家) |