楽しい教室 2001一1学期号

まっかっかっか、そらのくも


小学6年生の私は、学校が嫌いでした。
なぜなら、担任のN先生がえこひいきをする先生だったからです。
今ではないことですが、N先生は盆暮れに高価な贈り物をくれる金持ちの子をひいきしました。
他に、勉強ができる子、素直な子も好きだったようです。
N先生は、気に入った子をOOさん××君と呼びましたが、勉強のできない子や反抗的な子、気に入らない子を呼び捨てにしました。
それも、とても怖い声で。
路地裏の長屋暮らしの養父母に育てられた私などは、むろん気に入らない子どもでした。
勉強もできないし、やや屈折していましたから当然です。
N先生は、毎週テストの成績順に席がえをしました。
「80点似上、手をあげい」と手をあげさせ、一人一人に点数を大声でいわせます。
そして、良い順に後ろから席につかせます。
そうなると、点数の悪い子どもたちはまるで見せ物です。
もう席についた優等生たちの前で、20点だの15点だの答えなければならないのですから。
それでも、いつもできない子が、たまに、80点をとったりすることがあります。
すると、先生は褒めもせず「なんや、おまえもか。こら、テストが簡単すぎたなあ」と笑うのでした。
 そのクラスに、青木君がいました。青木君は不良でした。
 先生が決めた成績順の席なんか無視して、いつも、優等生の席を占領しました。
「先生、青木君が・・・」と、優等生はN先生にうったえます。
「アオキッ!自分の席につかんかっ」とN先生が怒鳴りますが、青木君は平気です。
机の上にドッカと両足をのせ、すましているのです。
先生が席から引きずりおろそうとすると、青木君はその手をはねのけ、教室から出てゆこうとします。
「どこへ行く」と怒る先生に「トイレ」とこたえ、青木君は廊下を「まっかっかっか、そらのくも…」と鼻歌で去ってゆくのです。
むろん、もう教室には帰ってきません。
大好きな給食の時間までは。
あの頃、青木君は、先生に嫌われ組のヒーローでした。
私たちは、心の中で青木君を尊敬していました。
先生に堂々とさからえるのは、青木君だけだったからです。
あれから、私は大人になり、童話作家になりました。
そして、現在ひそかに思っていることがあります。
あの頃の私にとって、学校はつらい所でした。
けれど、青木君がいたから、嫌われ組の仲間たちがいたから、楽しい所でもあったのです。
学校のつらさと楽しさ、その両方を体験した人こそ、教師や童話作家にふさわしいのではないか。
私は最近、そんなことを思うのです。
つらいだけでも楽しいだけでも何か足りない、そんな気がしてならないのです。