のずき 01/4/15京都新聞 越水利江子 「その遊びにどんな名がついているか知らない。まだそんな遊びを今の子どもたちが果たしてするのか、町を歩くとき私は注意して見るがこれまで見た例しがない。 あの頃つまり私達がその遊びをしていた当時でさえ、他の子供達はそういう遊びを知っていたかどうかも怪しい・・・」 そんな書き出しで始まる新美南吉の「花を埋める」(新美南吉全集所収・大日本図書)は、少年期のエッセイめいた作品である。 ここで、南吉が見た例しがないといっている遊びは、実は、後の文学にも登場する。 出色の児童文学『不思議の風ふく島』竹内もと代(小峰書店)は、心の奥深くへじんわりとしみこんでくるようなファンタジーだが、ここにも、この遊びが描かれている。 季節はちょうど今ごろ。野山に花々が咲きそめる春か、初夏がふさわしい。 まず、一人の子どもが地面に小さな穴を掘り、中へ摘んできた花や葉を彩りよく並べる。その上に、透明の割れガラスをのせ、蓋にして、土をかぶせる。目をつむっていたもう一人の子どもは、穴がどこにあるか知らない。辺りの地面に指をはわせながら、穴を探し当てるのである。 ガラスの感触を見つけた子どもが、指先で円をかくように土をのけると、透明なガラスが現れる。もっと円を広げると、ガラスの下に、瑞々しい花のパノラマが現れる。摘みたての花色が、ガラスをのせることで、さらに鮮やかに艶めき、この世ならぬ、しんと深い景色に変化して立ち現れるのである。 「これがね、のずきなの」と、『不思議の風ふく島』には書かれている。 南吉の物語ではわからなかった遊びの通称(能登島地方)がここでわかる。 中で、この作者は「のずき」とは、「のぞく」という言葉がなまったのだろうと語っている。 花埋みを描いた文学は、むろん他にもある。ひっそりとだが、脈々と、この遊びは文学の中で生きている。 それはなぜだろう。 物語の多くに共通するのは、この遊びが、思春期の少年少女たちの間で行われていることだ。 目前の人間に、見えない美しい何かが隠されている。そう信じることで成り立つ異性への憧れ。その異性がこっそり隠した花埋みをさがす。 それが「のずき」という遊びである。少しも萎れず、湿った土中に埋もれているのは、果たして、季節の花だけだろうか。 (童話作家) |