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外は木枯らし                  越水利江子


木枯らしが吹いています。
その中を、あれこれ郵便物を抱えてポストまで行って来ました。
暗くなった道に、ひゅう〜と風が吹くと、寂しくなります。
子どもの頃、迷子になった時のような気持ちになるのです。
ここから先へ行っても、誰も、私を待っていてくれないような気がします。
みんなが温かい家族の待つ家へ帰ってしまったのに、かくれんぼで、たった一人、取り残されたような気持ちといってもいいかも知れません。
そういう気持ちになる時、私は寝てしまうか、仕事をします。

ところが、今日は、うっかりテレビを見てしまいました。
しかも、NHKの「痴呆の人が語る心の世界」という番組です。
かつては三十人もの部下を率い第一線で仕事をしていた女性が、若年性痴呆症におかされ、今は昨日のことが思い出せないというのです。
それでも、彼女は痴呆を病んでいる人たちのためにと、講演活動をなさっています。テレビインタビューに穏やかな笑顔で応える彼女は、理路整然としていて、とても痴呆症には見えません。
けれども、彼女には、時間や場所がわからないのです。
痴呆の進行を遅らせる治療薬を飲むのも、家の近くを散歩をするのも、夫なしにはできません。シャワーの温度調節も、料理の手順も、もう彼女にはわからないのです。

そういう彼女はこんな風に話しました。
「昨日できたことが、今日できなくなっていく。それは辛いことですが、ある時、私は考えを変えたのです。人間にとって大切なのは『何ができるか』ではなく、『今できること』なのだと。そして、今を生きる自分が、今まさに感じているその感情こそが、とても大切だとわかったのです」
正確ではありませんが、彼女はそんなふうに語ったと思います。
そういう彼女は、今はまだ言葉を失ってはいませんが、数年後、そうやって語る言葉さえも失うだろうといわれています。
彼女は、毎夜、夫と語り合うことさえできなくなるのです。
そうなった時が、本当の試練だと夫婦は感じているようでした。
夫はこう語りました。
「彼女はわたしの親友です。ですから、わたしは彼女の介護者ではなく、パートナーなのです。彼女との暮らしを、わたしは楽しんでいます」と。
痴呆は、人間の尊厳を奪っていく病気といわれています。
けれども、人間の尊厳とは、その人を愛する人間がそばにいる限り護られていくものだと、番組を見ていて感じました。
尊厳が失われるのは、その人自身の変化ではなくて、環境の変化です。
その人を、一己の人格ある人間として見ない環境、そういう場に放り込まれた時、人間の尊厳は奪われるのだと思います。
だとすれば、どのひとも、生きる過程で自分に問いかけねばなりません。

深く、ひとを愛しているか。
深く、ひとから愛されているかと。

今できることがどんどん減っていっても、愛し護ってくれる人間に出会っているか、愛し護りたい人間がいるかどうかと。
そして今も、そのひとを護って生きているかと。
愛は一朝一夕には生まれません。
試されるのは、今、この時なのかも知れません。

最後に、彼女はいいました。
「社会が痴呆を理解してくれるよう、人間の尊厳を奪わない介護や福祉を目指してくれるよう、私は残された時間も講演を続けたいと思っています。けれども、最後に残された一年間だけは私の時間を持ちたいのです。一年間だけは、夫との二人の時間を大切に過ごしたいのです」