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「まぼろしの名著」
                      越水利江子


少女の頃、私は漫画家志望だった。
毎日、毎日、漫画を描きためた。
大好きな漫画家は、ちばてつや、水木しげる、石ノ森章太郎、小島剛夕、白土三平、横山光輝といった少年漫画の旗手たち。
それに、水野英子、萩尾望都、青池保子、吉田秋生など、続々と登場する女性作家の旗手たちだった。

漫画は死ぬほど読んだが、物語の本は読まなかった。
というより、物語の本は高かったが、漫画は安かった。
おまけに、貸本屋(といっても漫画ばかり)や、夜店の古本屋でも漫画を売っていた。
漫画を読む機会はどこにでもあったが、本を読む機会は学校の図書館くらいだった。
子どもの周りに、面白い児童文学などなかった。
あったかも知れないが、全く目に触れなかった。
児童文学といえば、偉人伝とか名作選とか、かたくるしい物語ばかりだと思っていた。
かろうじて憶えている童話は、濱田ひろすけの『ないたあかおに』くらいである。
そんな私が、いつ物語づくりに目覚めたかと考えると、一つの名著にゆきあたる。

石ノ森章太郎の『少年のための漫画家入門』『続漫画家入門』(秋田書店)という二冊の本である。
この二冊は、漫画を描き始めようとする少年少女に向かって書かれた本だが、その内容の豊富さ、わかりやすさは、私が大人になって読んだあらゆる入門書と比べても、ぬきんでている。
少女の頃の私は、漫画を描くために、この本を何度も読み返したが、現在読んでも、その緻密さ、深さに感動する。
つまり、石ノ森章太郎は、少年少女相手といえども、全く手を抜いていない。
それどころか、一冊で書き足りなかったことを気に病んで、続編まで出している。
当時、超売れっ子の漫画家である。
こんなに手がかかって、儲からない仕事を、良くやったと思う。
何より、漫画に対する愛、漫画を描こうとする少年たちに対す
る愛がなければ、とてもやれない仕事である。
ゆえに、この二冊の入門書は、ただ漫画を描く入門書というだけではない大きな本となった。
物語づくりのバイブルのような本になったのだ。
本に構築された手法は、みごとに、今、私たちがやっている児童文学の物語づくりの手法を教えている。
それは、映画的、シナリオ的ともいえる。

石ノ森章太郎は偉大な漫画家だったが、人間としても大きな人だったのだと思う。
一つ一つの仕事に対する姿勢が、それを語っている。
どの本も、手をぬかない。心をぬかない。
私もそうありたいと、心から思う。
誤解があってはいけないので付け加えると、力をぬかないというのではない。
作品を書くとき、力は入りすぎてはいけない。
むしろ、肩の力をぬかないと、いい作品は書けない。
力をぬくことと、手をぬくことは、似て非なるものなのである。
ということで、今夜も寝酒に一杯、肩の力をぬくことにする。