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西日本児童文芸のつどい2002その後
(つどい報告その2)
                   
02/10/18
                  written by 越水利江子


 嬉しいことに、今関信子さんとお話しする機会に恵まれました。
 しばらくお会いしていなかったので、懐かしいような気持ちになりました。
 ちょうど、彼女の愛媛県での講演を聞かれたという方が童話城へもお見えになったりして、お噂をしていたところだったのです。それで、お話がはずんだのですが、このほろ酔いエッセイもどなたかがファクスしてくださったとかでご覧になったそうです。
 で、つい昔話に花が咲きました。
 そのお話が素敵だったので、ここで、ちょっとご紹介します。
 
 話は、1995年の日本児童文学者協会の五十周年関西大会にさかのぼります。
 その頃、私は1994年度日本児童文学者協会新人賞をいただいているので入会間もない会員でした。
 この時は、当然、私は一般参加者として参加したのです。
 「あの時の実行委員会は、元亜空間の代表だった川村たかし先生のお力をお借りして、関西の同人誌代表の方に集まって頂いて実行委員会を立ち上げたんですよ」
と今関さんはおっしゃった。
「二回目の関西大会は、児童文学者協会記念刊行のふるさと童話館が関西6県そろったので、お祝い会兼、勉強会という形でおこなったんですが、この時は、川村先生は児童文芸家協会会長に就任されていて、お頼りすることができなくて、6県の編集委員が実行委員になって、各同人誌に呼びかけました。ですからね、私一人ががんばったのではなくて、ほんとに、実行委員みんなが一生懸命やったんです。それが、私だけが目立って見えたとしたら、私の不徳のいたすところなんです。」
 
 そこまでお聞きしてやっとわかった。
 心優しい今関さんは、みんなで苦労したことを、なんだか自分だけが頑張ったように思われては、他の実行委員さんに申し訳ないと胸を痛めていらっしゃるのだと。
 
 ごめんなさい。今関さん。
 実行委員のみなさんがとても大変だったことは、これまで3度も実行委員をつとめた私にもよくわかっています。すべては、実行委員会全体が大きなご苦労を背負って頑張られた結果だということも。

 どこの主催であれ、このような講座や大会を立ち上げ成功までもっていくのは並大抵のことではありません。
 たった一人でできることでもありません。
 誠実な実行委員会があってこそ、成り立つことです。
 けれども、実行委員長(という名称があったかどうかはともかく)という立場が、その中でもとりわけ大変なのは、間違いのないことだと思います。
 今回の児童文芸のつどいの実行委員たちもほんとに大変でしたが、公私にわたって、すべての矢面に立たざるを得ない実行委員長の立場は、さらに大変なものでした。
 社会がすべて善意で成り立っているわけではないのですから。
 飛んでくる矢やつぶてを、立ちはだかって一人受け止め、実行委員たちを見守る大きな柱なくして、これらの行事は成り立たないのです。

 そういう意味で、児童文学者協会関西大会は今関さんが間違いなく大きな柱だったと思います。今関さんが大きな柱なら、一回目の大会の川村たかし先生もまた、もう一本の大きな柱でいらしてくださったのだと確信します。
 
 さて、こういう催しの在り方については、つどい報告その1に記しましたので多くは語りません。 
 ただ、協会本部には、こういった地方の催しにも温かい視線と援助を向けてほしいと心から願います。
 児童文学者協会は、私にとっても、新人賞を頂いたご恩ある協会ですし、今も会員のひとりです。
 会員だからこそ、言わねばならないことがあると私は信じています。
 共に書く者の協会とは、そういうものだと思うからです。
 組織を大切に考えるというのは、肯定するばかりではないとも思っています。
 最後になりましたが、今関さんがおっしゃってくださった一言を締めくくりの言葉とさせていただきたく思います。

「私は、関西大会のときも、狭いなわばり意識やなにかにこだわらず、広く児童文学を担っていくこれからの人たちと共にやりたいと思っていました。今も、その気持ちに変わりはありません。西の作家としてこれからいっしょに頑張りましょう」
 
 ありがとうございます。
 共に頑張ります。