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「海の不動」 越水利江子 不思議な夢といえば、数知れずあるが、たいていは数時間から数ヶ月ですっかり忘れてしまう。 何年も経っているのに覚えている夢は数少ない。 まして、十数年も経て覚えている夢というのは、何か深層的に特別な意味があるのかも知れないと思ってしまう。 そういう夢が、たった一つある。 夢の中で、私は誰とは知れないかけがえのない人間と小舟に乗っていた。 暗い海は波が高く、小舟は木の葉のようにきりきりと舞っていた。 私ともう一人は、波に呑まれぬようギシギシきしむ船縁にしがみついていた。 小舟は嵐に巻き込まれたらしく、波はいよいよ高く、私たちはそろってぬれねずみだった。 「あそこまで、行き着けば・・・」と、私はつぶやいたが、目指しているのは、海上に浮かぶ何とも不可思議な城だった。 城は城だが、そこには、天守閣も石垣もない。それどころか、壁さえないのだ。 海上に浮かぶ大広間といえばいいだろうか。 何百畳敷きかわからないが、その畳は波に洗われている。 屋根はあった。寺院のような大屋根である。 だが、その大屋根を支えているのは、数十の柱だけである。 壁や襖といったたぐいは一切なかった。 風が巻き、波が洗う。いわば、大海の岩礁のような城である。 私たちはそこを目指していた。 そのとき、大波が小舟を呑んだ。 「もうダメか」と思った一瞬、行く手の城の向こうに、さらに異様なものを見た。 巨大な不動尊が半身を海に沈めたまま、天を貫く大剣をかざし、隻眼で此方を睨んでいるのである。 その肩を、風と波が洗っている。 良く見ると、不動は隻眼ではなく、片方の目を半眼にしていた。 だが、見開いた片方の目は煌々と光っていた。 不動は恐ろしい怒りの表情をしていたが、なぜか目だけは、 子どもの悪戯を見て見ぬ振りをする年寄りの慈愛の目に似ていた。 その後、私たちは城に行き着くが、その先の物語は不鮮明である。 当時の私が、行く末の見えない恋愛をしていたとか、家庭的問題を抱えていたとかいう、安易な謎解きはしないでほしい。 その頃には、そういった直接的な問題は何も抱えていなかった。 そして、それから十数年後に、私は海の不動に再会した。 四国高知の青龍寺。四国遍路の札所の一つ。 真言密教の始祖、空海大師が自ら彫ったという水神を祀り、地元の漁師たちがこれを信仰している。 その本尊を、初めて見たとき、呆然とした。 それは、暗い色の木像で、金色の片目を光らせた不動尊だった。 もう一方の目は半ば閉じて半眼である。(これを天地眼と呼ぶらしい。お不動さまは天と地を同時に見渡していらっしゃるという) 名を、波切不動尊とおっしゃる。 かの空海が唐に渡船した折、嵐に遭い、海上をさまよった。 あわや大波に呑み込まれそうになった刹那、不動尊があらわれ、手にした剣で大波を切りはなち、空海の船を救ったという伝説の不動尊であった。 むろん、そんなことは何も知らなかった。 高知生まれとはいえ、生まれてすぐ京都に貰われて来た身だ。 寺も、不動も、知る由もない。 夢の意味がわからぬように、夢に出てきた不動尊が実在した意味も私にはわからない。 ただの偶然で、何の意味もないのかも知れない。 だとしても、今度、高知に帰ったら、波切お不動さんに、ぜひ一献捧げねばなるまい。 嵐の海で冷えたお体を、熱燗できゅうっと温めて差し上げねば。 |