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運命のひと                   2003/7/6


先日、珍しくテレビを点けたら、若い女性たちに「運命の人との出会いってありましたか?あると思いますか?」って、きいてる番組がありました。
女性たちは、一応に「ない」「あるわけないじゃん」とか答えていて、「あると思う」と答えた女性は一人か二人だったと思います。
「あると思う」と答えたひとも、すごくあいまいで、白馬の王子さまみたいな出会いを夢見ているようでした。
「いや、ちがうって。それは妄想やって」と、思わずつっこんでしまいました。
白馬の王子さまが遠い世界からやって来て、幸せの国へ連れていってくれると、一昔前の少女たちは夢見ていましたが、それは、社会が女性に開かれない世界だったからです。
一般の女性たちは、男性の支配下に置かれ、心ある男性の力を借りないと、幸せになれなかった時代でした。
現代は、随分変わったと思うのですが、まだ、白馬の王子さまの力が必要なのでしょうか。

現実面で、白馬の王子さま(いるかどうかは別にして)に迎えに来てほしいと思うなら、実は女性自身も颯爽と馬を乗りこなし、知性品格に優れ、並み居る男性から敬意の目で見られるような女性にならないと無理かも知れません。
素直で可愛いだけで、自分では何もできないシンデレラ姫はもう古いのです。
白馬の王子さまでなくても、誠実な働き者の男と出会いたいと思えば、女性自身も男なんぞいなくても大丈夫なくらいバリバリ働く人間でなければならないようです。

簡単にいえば、類は友を呼ぶのです。
運命のひとというのは、憧れを絵に描いたひとではなくて、魂がもっとも近いひとではないでしょうか。
お金持ちでなくても、社会的地位がなくても、真面目に仕事をして、魂を磨くことで、運命のひとは近づいて来ます。
それは、魔法のようです。
働き、魂を磨く。
運命のひとを迎える準備は、たったこれだけでいいのです。
そして、運命のひとに出会ったら、もっと働き、もっと魂を磨き、自分と同じように、あるいはそれ以上に、その人とその人の人生を大切に護っていけばいいのです。
運命のひとは、いるんですよ。
ほんとに。

「生きるということは他者とめぐりあうこと、だから、せっかちになることが一番いけない。遠回りの道こそがよき人との出会いの近道」
(蚯蚓のはなかみ通信「屋久島に集まる」伊藤益臣より。白鳥邦夫の言葉)