心が熱い気持ちであふれて、涙が止まりませんでした。

私のイチオシは「あした、出会った少年」と「ALWAYS三丁目の夕日」です。

純粋な想いに心打たれたとしかいいようがないほど、素直に泣けたし、感動できました。

(若い読者19人の感想  以下へつづく)

心は国境を越えて…
     韓国でも翻訳出版決定!


明日を信じる力 人を信じる勇気
2005年日本児童文芸家協会賞受賞

「あした、出会った少年」

作 越水利江子/絵 石井 勉
ポプラ社刊 1000円(税別)



本のご注文はオンライン書店へどうぞ
 ◆ amazon ◆ 楽天ブックス ◆ bk1 7&Y
日本児童文芸家協会賞受賞
福井県優良図書
SLBC(学校図書館ブッククラブ)選定図書
JJA推薦図書

― 少女の澄んだ瞳を通して語られる
     せつなくも温かい物語。


(JJA推薦図書・推薦のことばより)
◆生きることは、なんて辛くて、なんて切なくて、なんて美しいのかと感じました。
この作品を読んで、大切な本が増えたというより、大切な人がいっぺんに増えたという気持ちです。
さよこたち全員が、わたしにとってかけがえのない人になりました。
人だけではありません。作品の舞台になった露地も、時代も、愛しくてたまらない存在になりました。
(読者の声より)

心が温かくなるような、なつかしい気分になって、とても心に残った。

思っていた以上に奥が深く、大人が読んでも楽しめる読み応えがある。

このような作品も童話であるという驚きが大きかった。

とても美しく、切ないシーン。大好きです。

さよこが体験したことは、わたしに関係ないのに、
いつのまにか、さよこの目線で物語を読み始めていた。
最後のシーンでは、わたしの心も昇華されたみたいになった。

子供を馬鹿にしてはいけない。

はじめはいやいや読み始めたけど、この作品に出会えて良かった。

ああ、こうなるのかという感じですごいなあと思いました。

最後ではすごく温かさが伝わってきて、読み終えた時に気持ちいいと感じました。

読んでいくうちに話がひとつになっていく様子がパズルのようで、とてもおもしろかった。

最後すべての話がつながるのは気持ちいい。

自分の思っていた「子どもの読む童話」というイメージがこわされた。

涙が止まりませんでした。

今まで、わたしが読んだことのない童話でした。

この作品のように今の私に感動をあたえるものが童話であるなら、
大人も童話というものに触れ、感動や学ぶものを感じるべきである。

ずっと心にひっかかって、尾をひくようにスーッと身体にしみわたってくる。
(若い読者19人の感想)

みなさま、ありがとうございました。

一話読むたびに涙がとまらなくなりました

一話読むたびに涙がとまらなくなりました。
登場人物の想いが心の中いっぱいにふくらんで、ただただ泣きました。
生きることは、なんて辛くて、なんて切なくて、なんて美しいのかと感じました。
この作品を読んで、大切な本が増えたというより、大切な人がいっぺんに増えたという気持ちです。
さよこたち全員が、わたしにとってかけがえのない人になりました。
人だけではありません。
作品の舞台になった露地も、時代も、愛しくてたまらない存在になりました。
最近のニュースを見ていると、ことばも物語も、何の意味もないように感じてしまう時があります。
今のこどもたちは、いったい、何を思っているのか。
何を望んでいるのか。
わからなくて途方にくれます。
投げやりな気持ちになることもあります。
でも、『あした、出会った少年』を読んで、ことばのもつ力、物語のもつ力を感じました。
物語にこめる想いが、いかに素晴らしい力をもっているか、わかりました。
(ユーカリさん)


なんて、やさしさにあふれた世界が、ここにはあるのだろう

うちの近くの、スーパーの上の本屋さんにも入っていましたよ。
「季節風」にこの作品が連載されていた時から、この作品を読ませて頂くと、心にすうーとうす闇が広がり、そのうす闇のむこうには、ぼんやりほのかな明かりが灯る気がしました。
そして、ぼんやりほのかな明かりは、まるではかないようなのに、どんなに強い風が吹いても消えることがない、そんなふうに思えました。
明かりは、露地に暮らす小夜子やみきちゃんの、生きていく強さのようにも感じられました。
早く一冊の本になって、この作品が現代の子どもたちへ、届きますようにと願っていました。
一人でも多くの子どもたちの心に、このほのかな明かりが灯りますようにと。
小夜子やみきちゃんの生きていく強さにふれれば、子どもたちはきっと、自分たちが強く生きていくための何かを、感じるはずだと思ったからです。
この物語には、現代社会が失っていこうとするものが、いきています。
それは、人と人との情のつながりではないかと思います。
そして、小夜子やみきちゃんの生命力は、その人と人との情に育まれたものではないかと。
本を手にしてからは、早く読みたくて、移動中の電車の中でもページを開きました。
でも、何度も泣きそうになってしまって、なかなか読めませんでした。
涙が出るのは、みんなが生きていくために必死で、そして、それでも自分のことだけ考えているのではなく、助け合って生きているからなのでした。
なんて、やさしさにあふれた世界が、ここにはあるのだろうと思って、涙が出ました。
悲しみを知っている人は、やさしいのかもしれません。
人にやさしくするということは、こういうことなんだと、しみじみ実感しました。
『風のラヴソング』から十年、ということですが、止まっていた世界は動き出し、作品世界の登場人物たちは、さらに、あしたにむかって歩き出したように思います。
みんながみんな、しっかりのこの世界に生き、この世界の中で歩き出したのです。
誰も止まってなんかいません。
しっかり前を向いて、あしたにむかっていく姿が、とても感動的でした。
(コノハさん)

魂のこもった一冊でした

『あした、出会った少年』本屋さんでやっと見つけました。
小梅さんの魂のこもった一冊でした。
(※小梅は作者の旧ハンドル名です)
うまく感想が書けない自分が悔しいのですが、早く多くの方々が手にとっていただきたいと願いました。
ぼくの田舎ことばでもある高知弁と、京ことばがジョイントするシーンがあって、懐かしくも新鮮で、最も深く染み込んで参りました。
作者の深い想いが、一言ひとことの言葉に込められているように感じました。
絵描きとしては、終始、挿し絵を描かれた石井勉さんに嫉妬しながら読ませていただきました。
物語にぴったりの、とってもいい絵でした。
(YOU-2さん)


「昨日の肉マン、おいしかったなぁ」と思いながら目が覚めました

「あした、出会った少年」をようやく読み終えました。
買ってからだいぶ経つのに、なかなか読めずにおりました。
やっと本を読む気持ちの余裕ができたので、読みはじめました。
すると一気に物語の世界へ入り込み、あっという間に行った事もない京都の露地に
自分が立っているかような気さえしました。
読み終えた次の日の朝などは「昨日の肉マン、おいしかったなぁ」と思いながら目が覚めました。
昨日肉マンを食べてはおらず、よく考えると「しのぶちゃんの作った豚まん」でした。
私の頭の中では、眠っている間中もあの露地の住人達が側にいてくれたのかもしれません。
なんだか、ほんわりと気持ちが暖かくなるような気がして目が覚めたのですから。
貧しいながら、人を思いやる気持ちがあって、さり気ない優しさに溢れている。
自分が育った時代も思い出すこともできました。
そして遠い京都の露地で精一杯生きている小夜子の姿が、活き活きと目の前に見えてきました。
(桐詩さん)


「祈り」「鎮魂」の物語

「あした、出会った少年」きのう、読み終えました。
心の中に桜吹雪が舞って、静かに静かに収まっていった…そんな感じがしました。
(変な表現でしょうか?)
みきちゃんや、お父さんに捧げる「祈り」「鎮魂」の物語でもあると思いました。
白木さん、しのぶちゃん、雪子さん…長屋に住んではったみんなの、一生懸命に生を全うしようという気迫が伝わってきました。
(講座の中で、みきちゃんやお父さんのお話をよくされているので、懐かしい気持ちで読ませて頂きました。)
小梅先生が、この作品に精魂を込められたことが、ビンビン伝わってきました。
友だちには、「風のラヴソング」といっしょに読むことを勧めたいと思います。
(ひまわりさん)

さよちゃんとみきちゃんが今でも住んでるんと違うかな

「あした、出会った少年」

大阪の下町、谷町筋を一本東に入った銅座公園の当りには、今も焼け残った長屋が少しだけ残っている。
そこから少し南に下る下寺町近辺には路地の入口に木の小さな門があり、その奥に住んでいる家族の苗字が並べて門の横木に書いてある。
59年前に焼け残った貴重な大阪の裏路地の長屋、それも今はビルのマンションに建て替えられて殆どなくなっているが、天神坂や清水坂の辺りを歩いていると、そんな長屋の入り口に出くわす事が今でもある。
思わず「さよちゃんとみきちゃんが今でも住んでるんと違うかな」と思って覗きそうになる時がある。
それくらい私にとってさよ子とみきちゃんは身近に感じられる存在。
越水さんが季節風に「地上の少年」シリーズとして掲載されている頃から、いつも自分の育った家を思いだし、あの頃に帰る事が出来る作品で、できれば長く続けて欲しいと思う。
(るいさん)


嬉しくて、まぶしくて、何度も部屋を覗きに行った

「あした、出会った少年」の「花帰り」を読んでると、二人の姉がお嫁に行った時の事を思い出してん。
どちらの姉も御嫁入りの1年前から髪を伸ばし初めて、結婚式の日は、家の仏間の隣の広間に髪結いさんが来られて、朝から御湯沸かして、綺麗に文金高島田に結い上げて、黒の振袖の着物を着せられ、丸帯を高々と結んで貰ってねえ。
嬉しくて、まぶしくて、何度も部屋を覗きに行ったもんや。
それから家を出て嫁いで行った3日目に、丸髷に結い上げた頭で「花帰り」してきた姉は、どこか遠い所の人のような、顔を会わせるのが恥ずかしいようなソワソワした思いで見上げた。
広間に両手をついて両親に「ただ今、戻らせていただきました」と姉が挨拶をしてるのを見て、私もお嫁に行ったら親にはもう甘えられへんのやわと思った。
そんな事を色々思い出させてくれた本やった。
越水さんに「懐かしい事書いてもらってありがとう」と伝えてね。
(M・Oさんからのご感想。ご友人を通じて頂きました)
 
 ご感想につきましては、他にもメールや郵便で、とてもたくさん頂いております。
 この本を書店で買って読んで下さった読者の方や、大先輩や若手の作家さんや、
 版元の編集さんのお便り一通一通が作者の大切な宝物です。
 ただ、封書やはがきでいただいたものは個人的なものですので、ここへは掲載できません。
 それに、読者の方々から頂いたお便りは便箋何枚もに書いて下さったものが多いのです。
 というわけで、ここへ掲載させて頂いたのは、掲示板、メール、及び了解頂いたのご感想のみです。