京都新聞コラム 花笑み 巣立ちの季節。 といっても、ヒト科の雛たちの話である。 弥生吉日、各地で梅がほころび始め、雛たちはそれぞれの学校を卒業する。 卒業がたんなるイベントとして過ぎる幸福な者はともかく、学校でいじめを受けた者にとっては、卒業は地獄からの生還ともいえる。 ある少女は、小学五年生のクラス全員からバイキンのようにあつかわれた。 みんなが少女には触れない。 すれ違っただけで逃げる。ボールは受けない。配った給食は食べない。隣にはすわらない。そうじの時は、少女の机だけ誰も運ばないといった徹底したいじめ。 そのいじめは、少女が不登校になり、とうとう入院するまで続いた。 昨年、私はこの少女の手記に出会い『もうすぐ飛べる!』(大日本図書)という物語を書いたが、伝えたいのはその後のことである。 少女は、その本を読んでくれたらしい。そして「これは、私そのものですね。私そのものやのに、私が読んでもすごい本…」と、しばし涙ぐんだという。書き手には過分な言葉だが、ここで披露したいのはその事ではない。 彼女の次の言葉だ。 本を届けてくれた人が、なにげなく彼女にいった。 「この本、あの頃のクラスの人たちにも、読んでもらいたいね」と。 彼女はきっぱり答えた。 「それは、やめてください」 自分の体験が本になったのはうれしい。だが、同級生には見せたくない。彼女はそういった。 大人に近づこうとする彼女の中で、心の傷はまだ癒えていなかった。うっかり触れれば血が噴き出す。彼女は何よりそれを恐れていた。 いじめとは、それほどに深く人間を傷つける行為である。 季節はまもなく、梅から桜へ、爛漫の春を迎える。しなだれるはどに咲き誇る桜の下、雪柳も散りこぼれよう。 香(かぐわ)しい花の季節の到来である。 この機会に、いじめっ子こそ、陰湿ないじめの巣から巣立ってほしい。未熟な雛から、ヒト科の人間へと。 (越水利江子・童話作家)2001/3/11 |